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眉村卓企画展

 9月6日〜11月13日、岡山県備前市日生町の加子浦歴史文化館にて『眉村卓と日生―没後5年、作家デビュー60年記念―』という企画展が開かれるとのこと。これはいいですね。作家デビュー60年というのは処女出版『燃える傾斜』を起点としています。そこに至るまでの道のりをまとめてみました。

◆「宇宙塵」1960年11月号(38号)に「その夜」が掲載。2度目の登場は1961年1月号(40号)で、「眉村卓掌編集」として全6編が掲載。常連寄稿者となります。
宇宙塵1960年11月号(38号).jpg 宇宙塵1961年1月号(40号).jpg
◆「ヒッチコックマガジン」1961年5月号(22号)に「眉村卓ショート・ショート集」が掲載され、商業誌デビュー。全5編で、うち4編は「宇宙塵」1961年1月号(40号)からの転載です
◆「NULL」5号(1961年10月1日発行)に「墓地」「傾斜の中で」が掲載。以後、6号(1962年2月1日発行)に「あなたはまだ?」、7号(1962年7月1日発行)に「目前の事実」、8号(1962年12月1日発行)に「静かな終末」、9号(1963年5月1日発行)に「錆びた温室」、10号(1964年1月1日発行)に「エピソード」、臨時号(1964年9月1日発行)に「悪魔の世界の最終作戦」(筒井康隆との合作)と、毎号掲載されます。
ヒッチコックマガジン1961年5月号(22号).jpg NULL・5号.jpg
◆「別冊宝石107号 ショート・ショートのすべて」(1961年7月15日発行)に「くり返し」が掲載。この作品は「宇宙塵」1961年1月号(40号)に掲載されたのち、「ヒッチコックマガジン」1961年5月号(22号)に転載されました。短いスパンで2度も転載されたことになります。
◆「SFマガジン」1961年10月号(22号)に「下級アイデアマン」が掲載。空想科学小説コンテストの佳作第二席に入選した作品です。同誌への2度目の登場は意外にも間隔があいて、1962年9月号(34号)の「わがパキーネ」です。
別冊宝石107号.jpg SFマガジン1961年10月号(22号).jpg
◆最初の長編にして処女出版『燃える傾斜』東都書房(1963年5月20日発行)を上梓。
◆最初の作品集『準B級市民』ハヤカワSFシリーズ(1965年9月15日発行)を上梓。短編集ではありますが、ほとんどショートショート集と言ってもいいような内容です。
燃える傾斜.jpg 準B級市民.jpg
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