(転載)(前略) 掌編(短編よりも短い小説のこと。ショートショートとも呼ぶ)集「殺意の風景」は、昭和58年4月号から昭和59年12月号にかけて、「波」誌に20編が連載された。 ちょうど先生が、「旅」誌に「終着駅へ行ってきます」を、「小説新潮」誌に「旅の終りは個室寝台車」を連載されていた時期に当たる。 連載終了の翌、昭和60年4月には、その中の18編が単行本にまとめられた。 紀行作家、宮脇先生による珍しい鉄道推理小説ということで評判にもなり、単行本は、第93回(昭和60年上半期)の直木賞候補作品にまでなった。 惜しくも受賞は逃たものの、その回の受賞者は山口洋子先生で、落選組の中にも、後に受賞に至る、林真理子先生の名前までもが見られ、かなりの激戦だった様子がうかがえる。(中略) ほぼ2年にわたる連載は、次の通りである。 (( )内は単行本の話数)第1話(第11話) 昭和58年4月号「隆起海岸の巻 [鵜ノ巣断崖]」第2話 昭和58年5月号「潮汐の巻 [鬼ケ城]」第3話(第1話) 昭和58年6月号「樹海の巻 [青木ケ原]」第4話(第3話) 昭和58年7月号「湿原の巻 [シラルトロ沼]」第5話(第13話) 昭和58年8月号「硬玉産地の巻 [姫川]」第6話(第4話) 昭和58年9月号「カルスト台地の巻 [平尾台]」第7話(第6話) 昭和58年10月号「溶結凝灰岩の巻 [高千穂峡]」第8話 昭和58年11月号「古生層の巻 [奥大井川]」(休載) 昭和58年12月号第9話 昭和59年1月号「トレッスル橋の巻 [余部]」第10話 昭和59年2月号「豪雪地帯の巻 [松之山温泉]」第11話(第5話) 昭和59年3月号「段々畑の巻 [御三戸]」第12話(第6話) 昭和59年4月号「石油コンビナートの巻[徳山]」第13話(欠話) 昭和59年5月号「火山地獄の巻 [後生掛]」第14話 昭和59年6月号「砂丘の巻 [鹿島灘]」第15話(第18話) 昭和59年7月号「海の見える家の巻 [須磨]」第16話 昭和59年8月号「海蝕崖の巻 [摩天崖]」第17話(第15話) 昭和59年9月号「廃駅の巻 [日和佐]」第18話(第7話) 昭和59年10月号「火砕流の巻 [北軽井沢]」第19話(第17話) 昭和59年11月号「噴火口の巻 [十勝岳]」最終話(欠話) 昭和59年12月号「日本列島大集会の巻[室戸岬 ほか]」 気になるのが、単行本で欠話となった作品なのであるが、読んでみると、「火山地獄の巻」は一連の作品と同じ作風だったものの、「日本列島大集会の巻」については、一転してギャグ・タッチになり、笑ってしまったのを思い出す。 随筆集「時刻表ひとり旅」の、「国鉄全線大集会」をお読みになった方であれば、「あんな感じで、『風景』どうしが喧嘩する話だ」と説明をすれば、おおよその雰囲気は分かっていただけるものと思う。 ほかにも、随筆集「旅は自由席」に収録された「0番線の話」によると、『夜中にマンホールの蓋をはずし、物蔭から観察する男の期待と不安の物語』があったものの未完成に終わったらしい。 また、シリーズではないものの、「湿った家」という掌編小説が、「昭和ミステリー大全集」にも収められている。(後略) by 橘まるみ (2011-07-02 21:30)
何の断わり書きもなく、出典も明らかにせず、「転載」のみをコメント欄にアップされても、いったいどう対応すればいいのか、困ってしまいます。 ブログのコメント欄というのは、管理人と読者の、あるいはブログの読者同士のコミュニケーションの場所であると認識しています。 その点、よろしくお願いいたします。 by 高井 信 (2011-07-03 14:47)
(転載は、嬉野泉先生の時と同じで、私の文なので、出典はありませんです。失礼しました) 宮脇俊三先生の「殺意の風景」シリーズ。単行本未収録の2編は、「小説新潮」誌(平成20年5月号(特集 宮脇俊三と旅する) にも再録されています。 宮脇先生のお姿は、「小説新潮」誌(平成19年11月号(特集 星新一 いつか見た未来)) に掲載された、北杜夫先生の随筆の写真。星先生と北先生に挟まれて、ちょうど真ん中に写っています。 宮脇先生に、「時刻表昭和史」(角川文庫)、「増補版 時刻表昭和史」(角川文庫)という作品集があります。 巻末で、文芸評論家の奥野健男先生が、「趣味的なエッセイではない。(中略)日本には珍しい教養小説」 と、解説していますので、首を傾げながら、ショートショートのリストに加えています。 ホーム・プレートから完全に外れているように見えるけど、審判がストライクにしてしまうので、打たざる得ないといった感じです。 by 橘まるみ (2011-07-03 21:56)
>何の断わり書きもなく、出典も明らかにせず、「転載」のみをコメント欄にアップされても、いったいどう対応すればいいのか、困ってしまいます。高井さんがお困りなのは理解できます。このブログの愛読者としても困ります。橘さん、「私の文」からの転載とはどういうことでしょうか。その文をどこに書かれたのか、どこかのファンジンなのか、あなたのブログなのか、それをおっしゃっていただければ、理解の一助となるのですが。横から口をさしはさみました。お気をわるくしないでくだい。 by 雫石鉄也 (2011-07-04 05:25)
雫石さん、ありがとうございます。 出典のない転載って、わけがわかりません。 by 高井 信 (2011-07-04 07:42)
雫石鉄也先生のHP(http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/s/%A5%B7%A5%E7%A1%BC%A5%C8%A5%B7%A5%E7%A1%BC%A5%C8 )は、ここのHPとほぼ同時に見つけて愛読しています。 宇宙塵月例会がなくなってしまったので、雫石先生の所みたいなHPが見つかって良かったです。 眉村組の作家さんですよね。 星組の橘です。 星組の、西(秋生)と深田(亨)が、いつもお世話になってますです。 宮脇俊三先生についての文は、旅と鉄道にまつわるミニコミ誌で、浅田次郎先生の「鉄道員(ぽっぽや)」など、旅と鉄道にまつわる小説の紹介をしていて、そこから持って来ました。 抜け目なく、笙野頼子先生の「タイムスリップ・コンビナート」を紹介した事もあります。 というより、第一回を、サイエンス・フィクションの「タイムスリップ・コンビナート」にしました。 そんなところです。 あと、和歌山県生まれなので、タイガース応援しています。 by 橘まるみ (2011-07-04 21:13)
橘まるみさんへ。あなたの幅広い人脈と知識には感服します。また、私のブログを愛読してくださっているとのこと、まいどありがとうございます。さて、あなたのコメントに少々違和感を感じましたので、私の思うところを記させていただきます。どうかお気を悪くしないでお読みいただければ幸いです。まず、私は「先生」ではありません。人を教えたことはありません。また、私はプロの作家ではありません。趣味でショートショートなどを書いている、いちSFファンです。>眉村組の作家さんですよね 確かに、私は眉村さんとは長年親しくさせていただいております。私の作品を評してもらったこともありますし、いろいろなアドバイスをいただいたこともあります。しかし、私と眉村さんとは「子弟関係」ではないと私は認識しております。だいたいが、私のような不肖の人間が弟子だなんて、眉村さんもご迷惑でしょう。私にとって、眉村さんは、師匠というより、尊敬する大先輩といった認識でおります。眉村さんの、お人柄から考えて、そんなことは絶対にありませんが、もし眉村さんが誰かと対立するようなことがあれば、私は眉村さんの方に組することは事実ですが、だからといって、私が「眉村組」というのは少々違うように感じます。私は、眉村さん以外にも親しくさせていただいているSF作家が何人かいます。堀晃さんや谷甲州さんとも親しくさせていただいています。でも、私のことを「堀組」や「谷組」とはいわないでしょう。>星組の、西(秋生)と深田(亨)が、いつもお世話になってますです。なんだか、西さん、深田さんに対して失礼な言い方ですね。確かに、西、深田両氏とのつきあいも、私は長いです。今でも、機会あるごとに合って酒席を囲んでおります。私が両氏の「お世話」したことも、私が両氏の「お世話」になったこともありません。おふたりとはあくまで、良き友人としてご厚誼をいただいております。それに、あなたに、お二人のことで、私が感謝されるいわれもありません。以上、どうかお気を悪くなさらないように。 by 雫石鉄也 (2011-07-05 08:57)
台風12号の悪天候が心配される中でしたが、9月6日(火)に、東京・青山墓地の、敬愛する、宮脇俊三先生のお墓に行って来ました。「宮脇家之墓」 と彫られた一般的な型の墓石を挟むように2枚の墓石があり、その右側に、大井川鉄道井川線、関の沢鉄橋を渡る軽便鉄道(http://www.ikawasen.jp/ )の絵が彫られ、「終着駅は 始発駅 宮脇 俊三 鉄道院周遊俊妙居士」 と、ありました(http://manics.exblog.jp/14813228/ )。 毎年ではありませんが、数区画離れた、星新一先生のお墓を訪れるたびに探し、事務所の人にも聞いたりしていたのですが見つからず、今年になって、ようやくたどり着けました。 ご存じでしょうけど、あの藪蚊はどうにかならないでしょうかね。 足が斑模様になってしまいました。 by 橘まるみ (2011-09-07 22:15)
9月6日といえば星さんの誕生日。ブログには書きませんでしたけれど、当日のグーグル・トップページのロゴはホシヅルでした。 見損なった方は喜多哲士さんのブログをどうぞ。http://boyakinikki.blog.so-net.ne.jp/2011-09-06 おお! 喜多さんも9月6日生まれ! by 高井 信 (2011-09-08 07:01)
宮脇俊三先生のお墓については、見つからないまま、その足で、世田谷文学館の宮脇俊三展に向かった9月6日の年もありました。 明治神宮球場や東京ドームへのプロ野球観戦と同時に訪れた事もありますが、自宅が東京都でないので仕方ないです。 私の場合は主に9月6日に訪れていますが、宮脇俊三先生の「周遊忌」は2月26日です。 ホシヅルの日の方は、星マリナさんや新井素子先生が訪れるぐらいで、皆、冷(クール)なのか、読者らしき人を見た事は一度もないです。 太宰治先生の「桜桃忌」のように、熱心な読者が順番待ち、という事はないみたいです。 ホシヅルそのものは、随筆集「きまぐれ暦」で初めて見ました。 後に、実際に描いても頂けました。 今回のグーグルのホシヅルなど、いろんなホシヅルがいますが、異論は当然あると思いますが、自分が描いて貰ったホシヅルが一番可愛い顔をしています。 田中 昌仁 (昭和55年入選) (http://members.jcom.home.ne.jp/tana-masa/essais/hoshishin.htm ) 島崎 一裕 (昭和59年入選) (http://homepage.mac.com/hinagu/sihaininnsitu/ss/ss.htm ) by 橘まるみ (2011-09-09 21:26)
(転載)
(前略)
掌編(短編よりも短い小説のこと。ショートショートとも呼ぶ)集「殺意の風景」は、昭和58年4月号から昭和59年12月号にかけて、「波」誌に20編が連載された。
ちょうど先生が、「旅」誌に「終着駅へ行ってきます」を、「小説新潮」誌に「旅の終りは個室寝台車」を連載されていた時期に当たる。
連載終了の翌、昭和60年4月には、その中の18編が単行本にまとめられた。
紀行作家、宮脇先生による珍しい鉄道推理小説ということで評判にもなり、単行本は、第93回(昭和60年上半期)の直木賞候補作品にまでなった。
惜しくも受賞は逃たものの、その回の受賞者は山口洋子先生で、落選組の中にも、後に受賞に至る、林真理子先生の名前までもが見られ、かなりの激戦だった様子がうかがえる。
(中略)
ほぼ2年にわたる連載は、次の通りである。
(( )内は単行本の話数)
第1話(第11話) 昭和58年4月号
「隆起海岸の巻 [鵜ノ巣断崖]」
第2話 昭和58年5月号
「潮汐の巻 [鬼ケ城]」
第3話(第1話) 昭和58年6月号
「樹海の巻 [青木ケ原]」
第4話(第3話) 昭和58年7月号
「湿原の巻 [シラルトロ沼]」
第5話(第13話) 昭和58年8月号
「硬玉産地の巻 [姫川]」
第6話(第4話) 昭和58年9月号
「カルスト台地の巻 [平尾台]」
第7話(第6話) 昭和58年10月号
「溶結凝灰岩の巻 [高千穂峡]」
第8話 昭和58年11月号
「古生層の巻 [奥大井川]」
(休載) 昭和58年12月号
第9話 昭和59年1月号
「トレッスル橋の巻 [余部]」
第10話 昭和59年2月号
「豪雪地帯の巻 [松之山温泉]」
第11話(第5話) 昭和59年3月号
「段々畑の巻 [御三戸]」
第12話(第6話) 昭和59年4月号
「石油コンビナートの巻[徳山]」
第13話(欠話) 昭和59年5月号
「火山地獄の巻 [後生掛]」
第14話 昭和59年6月号
「砂丘の巻 [鹿島灘]」
第15話(第18話) 昭和59年7月号
「海の見える家の巻 [須磨]」
第16話 昭和59年8月号
「海蝕崖の巻 [摩天崖]」
第17話(第15話) 昭和59年9月号
「廃駅の巻 [日和佐]」
第18話(第7話) 昭和59年10月号
「火砕流の巻 [北軽井沢]」
第19話(第17話) 昭和59年11月号
「噴火口の巻 [十勝岳]」
最終話(欠話) 昭和59年12月号
「日本列島大集会の巻[室戸岬 ほか]」
気になるのが、単行本で欠話となった作品なのであるが、読んでみると、「火山地獄の巻」は一連の作品と同じ作風だったものの、「日本列島大集会の巻」については、一転してギャグ・タッチになり、笑ってしまったのを思い出す。
随筆集「時刻表ひとり旅」の、「国鉄全線大集会」をお読みになった方であれば、「あんな感じで、『風景』どうしが喧嘩する話だ」と説明をすれば、おおよその雰囲気は分かっていただけるものと思う。
ほかにも、随筆集「旅は自由席」に収録された「0番線の話」によると、『夜中にマンホールの蓋をはずし、物蔭から観察する男の期待と不安の物語』があったものの未完成に終わったらしい。
また、シリーズではないものの、「湿った家」という掌編小説が、「昭和ミステリー大全集」にも収められている。
(後略)
by 橘まるみ (2011-07-02 21:30)
何の断わり書きもなく、出典も明らかにせず、「転載」のみをコメント欄にアップされても、いったいどう対応すればいいのか、困ってしまいます。
ブログのコメント欄というのは、管理人と読者の、あるいはブログの読者同士のコミュニケーションの場所であると認識しています。
その点、よろしくお願いいたします。
by 高井 信 (2011-07-03 14:47)
(転載は、嬉野泉先生の時と同じで、私の文なので、出典はありませんです。失礼しました)
宮脇俊三先生の「殺意の風景」シリーズ。単行本未収録の2編は、
「小説新潮」誌(平成20年5月号(特集 宮脇俊三と旅する)
にも再録されています。
宮脇先生のお姿は、
「小説新潮」誌(平成19年11月号(特集 星新一 いつか見た未来))
に掲載された、北杜夫先生の随筆の写真。星先生と北先生に挟まれて、ちょうど真ん中に写っています。
宮脇先生に、「時刻表昭和史」(角川文庫)、「増補版 時刻表昭和史」(角川文庫)という作品集があります。
巻末で、文芸評論家の奥野健男先生が、
「趣味的なエッセイではない。(中略)日本には珍しい教養小説」
と、解説していますので、首を傾げながら、ショートショートのリストに加えています。
ホーム・プレートから完全に外れているように見えるけど、審判がストライクにしてしまうので、打たざる得ないといった感じです。
by 橘まるみ (2011-07-03 21:56)
>何の断わり書きもなく、出典も明らかにせず、「転載」のみをコメント欄にアップされても、いったいどう対応すればいいのか、困ってしまいます。
高井さんがお困りなのは理解できます。このブログの愛読者としても困ります。
橘さん、「私の文」からの転載とはどういうことでしょうか。その文をどこに書かれたのか、どこかのファンジンなのか、あなたのブログなのか、それをおっしゃっていただければ、理解の一助となるのですが。横から口をさしはさみました。お気をわるくしないでくだい。
by 雫石鉄也 (2011-07-04 05:25)
雫石さん、ありがとうございます。
出典のない転載って、わけがわかりません。
by 高井 信 (2011-07-04 07:42)
雫石鉄也先生のHP(http://blog.goo.ne.jp/totuzen703/s/%A5%B7%A5%E7%A1%BC%A5%C8%A5%B7%A5%E7%A1%BC%A5%C8 )は、ここのHPとほぼ同時に見つけて愛読しています。
宇宙塵月例会がなくなってしまったので、雫石先生の所みたいなHPが見つかって良かったです。
眉村組の作家さんですよね。
星組の橘です。
星組の、西(秋生)と深田(亨)が、いつもお世話になってますです。
宮脇俊三先生についての文は、旅と鉄道にまつわるミニコミ誌で、浅田次郎先生の「鉄道員(ぽっぽや)」など、旅と鉄道にまつわる小説の紹介をしていて、そこから持って来ました。
抜け目なく、笙野頼子先生の「タイムスリップ・コンビナート」を紹介した事もあります。
というより、第一回を、サイエンス・フィクションの「タイムスリップ・コンビナート」にしました。
そんなところです。
あと、和歌山県生まれなので、タイガース応援しています。
by 橘まるみ (2011-07-04 21:13)
橘まるみさんへ。
あなたの幅広い人脈と知識には感服します。また、私のブログを愛読してくださっているとのこと、まいどありがとうございます。
さて、あなたのコメントに少々違和感を感じましたので、私の思うところを記させていただきます。どうかお気を悪くしないでお読みいただければ幸いです。
まず、私は「先生」ではありません。人を教えたことはありません。また、私はプロの作家ではありません。趣味でショートショートなどを書いている、いちSFファンです。
>眉村組の作家さんですよね
確かに、私は眉村さんとは長年親しくさせていただいております。私の作品を評してもらったこともありますし、いろいろなアドバイスをいただいたこともあります。しかし、私と眉村さんとは「子弟関係」ではないと私は認識しております。だいたいが、私のような不肖の人間が弟子だなんて、眉村さんもご迷惑でしょう。私にとって、眉村さんは、師匠というより、尊敬する大先輩といった認識でおります。
眉村さんの、お人柄から考えて、そんなことは絶対にありませんが、もし眉村さんが誰かと対立するようなことがあれば、私は眉村さんの方に組することは事実ですが、だからといって、私が「眉村組」というのは少々違うように感じます。
私は、眉村さん以外にも親しくさせていただいているSF作家が何人かいます。堀晃さんや谷甲州さんとも親しくさせていただいています。でも、私のことを「堀組」や「谷組」とはいわないでしょう。
>星組の、西(秋生)と深田(亨)が、いつもお世話になってますです。
なんだか、西さん、深田さんに対して失礼な言い方ですね。確かに、西、深田両氏とのつきあいも、私は長いです。今でも、機会あるごとに合って酒席を囲んでおります。
私が両氏の「お世話」したことも、私が両氏の「お世話」になったこともありません。おふたりとはあくまで、良き友人としてご厚誼をいただいております。それに、あなたに、お二人のことで、私が感謝されるいわれもありません。
以上、どうかお気を悪くなさらないように。
by 雫石鉄也 (2011-07-05 08:57)
台風12号の悪天候が心配される中でしたが、9月6日(火)に、東京・青山墓地の、敬愛する、宮脇俊三先生のお墓に行って来ました。
「宮脇家之墓」
と彫られた一般的な型の墓石を挟むように2枚の墓石があり、その右側に、大井川鉄道井川線、関の沢鉄橋を渡る軽便鉄道(http://www.ikawasen.jp/ )の絵が彫られ、
「終着駅は
始発駅
宮脇 俊三
鉄道院周遊俊妙居士」
と、ありました(http://manics.exblog.jp/14813228/ )。
毎年ではありませんが、数区画離れた、星新一先生のお墓を訪れるたびに探し、事務所の人にも聞いたりしていたのですが見つからず、今年になって、ようやくたどり着けました。
ご存じでしょうけど、あの藪蚊はどうにかならないでしょうかね。
足が斑模様になってしまいました。
by 橘まるみ (2011-09-07 22:15)
9月6日といえば星さんの誕生日。ブログには書きませんでしたけれど、当日のグーグル・トップページのロゴはホシヅルでした。
見損なった方は喜多哲士さんのブログをどうぞ。
http://boyakinikki.blog.so-net.ne.jp/2011-09-06
おお! 喜多さんも9月6日生まれ!
by 高井 信 (2011-09-08 07:01)
宮脇俊三先生のお墓については、見つからないまま、その足で、世田谷文学館の宮脇俊三展に向かった9月6日の年もありました。
明治神宮球場や東京ドームへのプロ野球観戦と同時に訪れた事もありますが、自宅が東京都でないので仕方ないです。
私の場合は主に9月6日に訪れていますが、宮脇俊三先生の「周遊忌」は2月26日です。
ホシヅルの日の方は、星マリナさんや新井素子先生が訪れるぐらいで、皆、冷(クール)なのか、読者らしき人を見た事は一度もないです。
太宰治先生の「桜桃忌」のように、熱心な読者が順番待ち、という事はないみたいです。
ホシヅルそのものは、随筆集「きまぐれ暦」で初めて見ました。
後に、実際に描いても頂けました。
今回のグーグルのホシヅルなど、いろんなホシヅルがいますが、異論は当然あると思いますが、自分が描いて貰ったホシヅルが一番可愛い顔をしています。
田中 昌仁 (昭和55年入選)
(http://members.jcom.home.ne.jp/tana-masa/essais/hoshishin.htm )
島崎 一裕 (昭和59年入選)
(http://homepage.mac.com/hinagu/sihaininnsitu/ss/ss.htm )
by 橘まるみ (2011-09-09 21:26)