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東京理科大学SF研究会

 この記事のコメント欄で、牧眞司くんと盛り上がっておりますが、ほとんどの読者には、なんのこっちゃ、でしょう。説明がてら、こんな記事を書くことにしました。

 私の母校は東京理科大学です。で、牧くんは2年後輩。
 私が入学したのは1977年の春です。そのころ理科大にSF研究会はありましたが、完全に開店休業状態でした。部室に行っても先輩たちが雑談しているだけで、な~~~んにもしていないのです。何か活動しようと働きかけても、生返事が返ってくるだけ。
 つまらんなあ。せっかく大学に入学したのに。
 そこで私、1年生の分際で勝手に会誌「兆」を創刊しちゃいました。創刊号の発行は1977年6月です。4月に入学して6月に刊行。この電光石火ぶりは相当なものでしょう。
「兆」は翌年2月に2冊目を出しましたが、これは休刊号。この体裁(創刊号は76ページ、休刊号は58ページ。1冊ずつ手作り製本)だと手間がかかりすぎて、発行の間隔があいてしまうんですよね。もっと気軽に発行できる会誌を出そうと、つまりは仕切り直しです。
兆・創刊号.jpg 兆・休刊号.jpg
 で、新たに創刊したのが、牧くんがコメントに書いていた「破天荒」です。ぺらぺらのファンジンで、ほいほいと発行できます。
 創刊準備号(78.4.15)、創刊号(78.5.15)、2号(78.5.30)、3号(78.7.15)と、ここまで私が編集を担当し、以後はバトンタッチ。発行ペースは落ちるものの、1979年11月発行の8・9合併号まで、計9冊が出ました。
 牧くんは1979年春の入学ですから、「破天荒」末期に、ぎりぎり間に合ったんですね。その証拠に、8・9合併号に寄稿しています(ペンネーム)。
破天荒・創刊準備号.jpg 破天荒・創刊号.jpg 破天荒・2号.jpg 破天荒・3号.jpg
 1979年と言えば、私が「奇想天外」でデビューした年です。いきなり忙しくなっちゃって、SF研に関わっている余裕はなくなります。
 そんなこんなで卒業が近くなりました。「破天荒」が中断して以降、新たな会誌は出ていません。
 淋しいな。よっしゃ、卒業記念に豪華な会誌を作ろう。
 というわけで発行したのが「断末魔」です。私が卒業する寸前の1981年1月発行(奥付は昭和55年発行となっていますが、誤植)。それまでの会誌は青焼きコピー印刷でしたが、「断末魔」はオフセット印刷106ページ! 私も牧くんも(複数の)ペンネームで書きまくってますね(笑)。
 私の卒業後、「断末魔Ⅱ」が発行されました(1983年5月)。こちら、依頼されましたので寄稿しましたが、私はほぼノータッチです。3冊目以降が発行されているか、知りません。
断末魔.jpg 断末魔Ⅱ.jpg
 以上。
 久しぶりに会誌を手に取り、懐かしい気分に浸りました。わが青春のヒトコマであります。

 余談ながら――
「兆」と「破天荒」の表紙を描いてくれた田中薫は、大学のクラスメートです。彼はマンガ家志望で、理科大漫画研究会の会長。会誌「ケサランパサラン」を発行していて、その創刊号(1979年6月刊)では私のショートショート「シミリ現象」をマンガ化してくれました。
 また、彼は「漫画 エロジェニカ」1980年1月号に作品が掲載され、マンガ家デビューもしています(ペンネームです)。
ケサランパサラン.jpg シミリ現象.jpg エロジェニカ.jpg セクソイド.jpg
コメント(2) 

コメント 2

牧眞司

「断末魔Ⅲ」が1985年に出てますね。「Ⅱ」「Ⅲ」とも、ぼくが卒業したあと。そのころから、後輩にとても熱心な連中がいて、「空想科学小説」という書評・コラム・ニュース主体のジンを畳みこむように発行していました。一時は月刊。京大の「ワークブック」、名古屋大の「ミルクソフト」と並んで、大学SF研三大レビュウ誌でした。京大と名大はいまだSF研も会誌も続いていますが、理大はフェイドアウトしてしまったなあ。
by 牧眞司 (2010-08-11 18:22) 

高井 信

 あ、Ⅲが出てますか。>「断末魔」
 私が中心になって作ったファンジンで、思い入れがありますから、できればⅢも入手したいところですが、難しいでしょうね。
「空想科学小説」は何冊か持っています。
>理大はフェイドアウトしてしまったなあ。
 そうなんですか。理科大SF研の後輩たちとの付き合いは皆無に近いし、SFファンダムとも疎遠になっていますし……。
 そう言えば、大場惑さん(2年先輩)ともご無沙汰していますね。お元気なのかしらん。
by 高井 信 (2010-08-11 23:01) 

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