「ミラー・ボール」あれこれ
先月22日の記事で、最相葉月『星新一 一〇〇一話をつくった人』新潮社(07)を読んで、星新一「ミラー・ボール」がすっごく気になった、と書きました。
この件に関して、山本孝一さんから情報をいただきました。
山本さんが「ミラー・ボール」の存在を知ったのは、星さんの「天国からの道」が「SFマガジン」誌に再録された際、そこに書かれていた解説によって、とのこと。
へえ、そんなのがありましたか。
調べてみますと、「天国からの道」が再録されているのは「SFマガジン」2000年2月号(525号)です。このころの「SFマガジン」はうちにはほとんどないのですが、幸いなことにこの号はピンポイントで持っていました。
さっそく確認。「天国からの道」再録ページの解説(吉井一彦)には、確かに「ミラー・ボール」のことが書かれています。しかも、簡単な内容紹介つきで。
いやあ、読んだと思うんですが、すっかり忘れていましたねえ。情けない……。
さらに、解説には――
> 私が「ミラー・ボール」の存在を知ったのは七七年、宮崎惇の書いた一文によってである。
ええー、そうだったの? 驚きましたねえ。
で、当然のことながら「宮崎惇の書いた一文」とは何か? それが気になります。
たぶん、これだろう。――私は宮崎さんの論考集『空想科学小説の諸相』私家版(72)を手に取りました。収録されている「幻想と科学と文学と―日本SFの土壌―」を読んでいきますと、確かにありました。宮崎さんと星さんの間で交わされた書簡のなかに、大きく言及されています(95~96ページ)。この本を入手したのは大学生のときで、当然すぐに読んだはずですが、これまた全く覚えていません。情けない……。
で、はたと思い出したのが、この論考(というか記録集)が再録された「宇宙塵20周年を祝う会 COSMICON'77」のプログラムブックです。再録にあたって「宇宙塵・その出発」と改題され、また半分ほどに縮められていますが、「ミラー・ボール」のくだりは削られていません(25~26ページ)。発行年も一致していますし、解説に書かれている「七七年、宮崎惇の書いた一文」というのは、これに間違いないですね。
ちなみに、「幻想と科学と文学と―日本SFの土壌―」の初出は「文学小諸」4号(1968年8月)とのこと。これは未確認ですけれど、1968年の時点で「ミラー・ボール」の存在は明らかにされていたということになります。書簡によれば、掲載誌「劇場」は星さんから宮崎さんに送られたとのこと。
私は1980年ごろ、星さんとも宮崎さんとも、ちょくちょくお目にかかっていました。宮崎さんは雑誌など、几帳面に整理されていましたから、お願いすれば、「ミラー・ボール」を読ませていただけたかもしれません。けれど、当時はそこまでのマニアではなくて……。いま思えば、残念なことをしました。
調査に要した時間は30分足らずでしたが、とっても楽しかったです。
山本さん、ありがとうございました。
この件に関して、山本孝一さんから情報をいただきました。
山本さんが「ミラー・ボール」の存在を知ったのは、星さんの「天国からの道」が「SFマガジン」誌に再録された際、そこに書かれていた解説によって、とのこと。
へえ、そんなのがありましたか。
調べてみますと、「天国からの道」が再録されているのは「SFマガジン」2000年2月号(525号)です。このころの「SFマガジン」はうちにはほとんどないのですが、幸いなことにこの号はピンポイントで持っていました。
さっそく確認。「天国からの道」再録ページの解説(吉井一彦)には、確かに「ミラー・ボール」のことが書かれています。しかも、簡単な内容紹介つきで。
いやあ、読んだと思うんですが、すっかり忘れていましたねえ。情けない……。
さらに、解説には――
> 私が「ミラー・ボール」の存在を知ったのは七七年、宮崎惇の書いた一文によってである。
ええー、そうだったの? 驚きましたねえ。
で、当然のことながら「宮崎惇の書いた一文」とは何か? それが気になります。
たぶん、これだろう。――私は宮崎さんの論考集『空想科学小説の諸相』私家版(72)を手に取りました。収録されている「幻想と科学と文学と―日本SFの土壌―」を読んでいきますと、確かにありました。宮崎さんと星さんの間で交わされた書簡のなかに、大きく言及されています(95~96ページ)。この本を入手したのは大学生のときで、当然すぐに読んだはずですが、これまた全く覚えていません。情けない……。
で、はたと思い出したのが、この論考(というか記録集)が再録された「宇宙塵20周年を祝う会 COSMICON'77」のプログラムブックです。再録にあたって「宇宙塵・その出発」と改題され、また半分ほどに縮められていますが、「ミラー・ボール」のくだりは削られていません(25~26ページ)。発行年も一致していますし、解説に書かれている「七七年、宮崎惇の書いた一文」というのは、これに間違いないですね。
ちなみに、「幻想と科学と文学と―日本SFの土壌―」の初出は「文学小諸」4号(1968年8月)とのこと。これは未確認ですけれど、1968年の時点で「ミラー・ボール」の存在は明らかにされていたということになります。書簡によれば、掲載誌「劇場」は星さんから宮崎さんに送られたとのこと。
私は1980年ごろ、星さんとも宮崎さんとも、ちょくちょくお目にかかっていました。宮崎さんは雑誌など、几帳面に整理されていましたから、お願いすれば、「ミラー・ボール」を読ませていただけたかもしれません。けれど、当時はそこまでのマニアではなくて……。いま思えば、残念なことをしました。
調査に要した時間は30分足らずでしたが、とっても楽しかったです。
山本さん、ありがとうございました。
2013-08-11 20:18
コメント(2)
SFマガジンに載った「天国からの道」は読んでますが内容はすっかり忘れています。しかしそれにつけられていた解説だけは覚えているとは妙なものですね。
私も確認のためにSFマガジンを段ボール箱の奥からひっぱり出したら、その号に「たんぽぽ娘」が再録されていました。
で、また読んだりして。
こんな作業って楽しいです。
by 山本孝一 (2013-08-11 22:11)
>その号に「たんぽぽ娘」が再録されていました。
私は半年ほど前にも、その号を手に取っているんですよね。
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2013-02-26
あのときに「天国からの道」が掲載されているページを読んでいたら……。
>こんな作業って楽しいです。
ほんと。お互い、ビョーキですね(笑)。
by 高井 信 (2013-08-11 22:42)