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「アルデバラン」と「イマジニア」

 東京創元社サイトで北原尚彦さんが連載している『SF奇書天外』の第19回は「遅れてきた新入会員・天瀬裕康=渡辺晋」です。1ヶ月以上前にアップされたみたいですが、全く気づかず、これを知ったのはつい先日です。
 このコラムで北原さんがメインに採り上げているのは『停まれ、悪夢の明日』近代文藝社(88)です。この本については、2009年3月18日の記事「SFファンダム発のショートショート集」で触れました。ええ、ショートショート集です。
 くだんの記事にも書きましたように、私は「天瀬裕康」という名に馴染みはありませんが、「渡辺晋」となりますと、「おおっ」なのです。
 渡辺晋の名を知ったのは中学3年のころだったと思います。「SFマガジン」連載の科学エッセイ「空想不死術入門」です。非常に面白く、楽しませていただきました。
 高校にはいって、岡田正哉さんに教えられて広島SF同好会に入会。その会誌「アルデバラン」で、編集長の森美樹和さん(大瀧啓裕)と並んで中心的な役割を担っていたのが渡辺さんでした。
 その少し前、瀬戸内海SF同好会というSFファングループがありました。主宰していたのは渡辺さんで、発行していた会誌は「イマジニア」。瀬戸内海SF同好会は知らなくても、「イマジニア」という名前に聞き覚えのある方は多いでしょう。それくらい有名なファンジンです。創刊号は1967年6月1日発行。終刊号となった第7号は1970年7月1日発行。
「アルデバラン」の創刊は「イマジニア」の終刊から5年後です。その創刊号(1975年7月20日発行)の巻頭には、渡辺さんが「創刊の辞」で、「イマジニア」終刊から「アルデバラン」創刊に至る経緯を書いています。要するに「アルデバラン」は「イマジニア」の後継誌と言える存在なんですよね。
 私が「イマジニア」を初めて手にしたのは10年くらい前でしょうか。ある方からいただいたのです。瀬戸内海SF同好会と直接の関係はなかったのに、なんだか懐かしさを覚えました。
イマジニア1.jpg イマジニア2.jpg イマジニア3.jpg イマジニア7.jpg
 さて、「アルデバラン」に話を戻します。この青焼きコピーの安っぽい、写真切り貼りの手作り感満載ファンジンの主力ライターは森美樹和、渡辺晋、そして岡田正哉でした。――うっひゃあ! なんて豪華な!
 高校時代、その末席に坐らせていただいたことは、私にとって大きな財産であり、素晴らしい思い出になっています。今また、岡田さんの追悼ファンジンを作るために「アルデバラン」を再読し、ノスタルジー爆発! なのであります。

 残念なことに、渡辺さんとは一度もお会いする機会に恵まれていません。
 北原さんのコラムを読んで、思わずこんな記事を書いてしまいました。――どこかでお目にかかれますように……と願いを込めて。
 渡辺さんはお忘れかと思いますが、「アルデバラン」にちょこちょこ書いていた高校生が私です。小説やらエッセイやら翻訳やら……。特にエッセイは若気の至りの極致かも。ほんと、至りまくっちゃってます(苦笑)。
コメント(7) 

コメント 7

山本孝一

私も渡辺晋には一度しかお目にかかったことがありません。
はじめて名前を見た時、当時ザ・ピーナッツやクレージー・キャッツを擁していた渡辺プロダクション(ナベプロ)の社長と同じ名前やなぁと思った記憶があります。
お会いしたのは40年ほど前の大阪でのSFフェスティバルだったか。
渡辺さんはSFの先駆者、小酒井不木(この人も渡辺さんと同じ医学者だったはず)についての講演をされてました。
ついでにいうと、この日のプログラムは森美樹和さんによるアメリカン・コミックスの流れというスライドを使った講演もありました。
オークションの進行は岡田正哉さんじゃなかったかなぁ。
>主力ライターは森美樹和、渡辺晋、そして岡田正哉でした。
この日に一同に会していたのでは。
しばらくして渡辺さんから同人誌を送っていただきましたが、「イマジニア」でも「アルデバラン」でもなかったなぁ。探せばいまでも残してあるはずなんですが。
「天瀬裕康」という渡辺さんの別名を聞いたのはつい最近です。
昨年の暮れに大阪の青空書房で、堀晃さんにお会いしたとき、堀さんが本棚から1冊の本を取って「この著者の天瀬裕康というのは渡辺晋さんだ」と教えてもらいはじめて知ったのです。
その本は長編の幻想小説みたいでしたので買いませんでしたが。
私は「イマジニア」は1冊も持っていません。
読みたいものですなぁ。


by 山本孝一 (2012-02-20 09:24) 

山本孝一

上の投稿中で、冒頭のところで
「私も渡辺晋には一度しかお目にかかったことがありません。」と
あやまって呼び捨てに書いてしまいました
「私も渡辺晋さんには一度しかお目にかかったことがありません。」と訂正します。すみません。

by 山本孝一 (2012-02-20 09:28) 

高井 信

 面白いエピソードをありがとうございます。
 岡田さんがオークションを担当されたのは大阪のSFフェスティバル'70(1970年8月15日、16日)ですね。ファンジン「ひゅうまんるねっさんす」7号(1970年12月27日発行)にレポートを書いておられます。山本さんも会員でしたから、お持ちなのでは?
 1970年といえば、私がSFという言葉を意識し始めた年です。そんなころから、あんな濃いSF活動をされていた皆さん、すごいです。
 昔のことを調べていて痛感するのですが、いくら古い資料を集めても、いくら読んでも、その当時の空気を吸っていた人には敵いません。調べなくても、最初から「知っている」んですよね。
 先輩たちには、どんどん昔のことを語っていただきたいと思っています。
by 高井 信 (2012-02-20 10:36) 

山本孝一

>山本さんも会員でしたから、お持ちなのでは?
残してはあるはずなのですが、すぐに出てきません。
岡田さんはソーダ水にアイスクリームを入れたクリームソーダが好きだったのですが、大阪の喫茶店のクリームソーダはどうしてこんなに値段が高いのだろう、名古屋はもっと安いのに…と言っておられたのがなぜか印象に残っています。

>先輩たちには、どんどん昔のことを語っていただきたいと思っています。
まったくそのとおりです。
一昨日、京都でプロレスを斜めから語るプロレス文化研究会という集まりがあり、東京からかつてのSF仲間のFさんも参加されました。
Fさんとは三十数年ぶりの再会です。
Fさんは、SFにしてもプロレスにしても上方落語にしても、後世のために記録を残しておくべきだという考えでした。
この日はフリーライターのIさんが、女子プロレス界の理不尽さ、怖さ、いいかげんさといった実態を語られたのですが、こんなことはプロレス専門誌には載っていません。
今、誰かが語って記録しておかないと残らないのです。
で、Fさんは女子プロレスのことなら、日本初の女子レスラーと言われている猪狩定子さんがまだ健在なので、お元気なうちにお話を聞くべきだとしきりとおっしゃってました。
私は、男のプロレスならぜひユセフ・トルコ氏に語ってほしいと思います。
SF界でも聞いておきたい話がいくつもあります。
先年に亡くなられた柴野拓美さんにも聞いておきたかった話がいくつもあります。
空飛ぶ円盤研究会の頃のお話とか、そこから「宇宙塵」創刊に至る時期の話とか。
星さんも、まだ星製薬のゴタゴタした記憶が生々しくてとても書く気分になれないと、日本SFの黎明期のことはあまり書かれていません。
今からでもまだご健在なSF関係の方々の証言を残しておくべきでしょう。
このサイトの趣旨からズレているかも知れませんが、書かせていただきました。
by 山本孝一 (2012-02-20 13:05) 

高井 信

 クリームソーダの件は「ひゅうまんるねっさんす」のレポートにも書かれています(笑)。
 それはともかく、
>今からでもまだご健在なSF関係の方々の証言を残しておくべきでしょう。
 本当にそう思います。
 私がブログに書いていることも、少しはその役割を果たせているかもしれません。今後も、何か思いつけば書いていくつもりです。
 山本さんも遠慮せずに語ってくださいね。
by 高井 信 (2012-02-20 16:37) 

雫石鉄也

>今からでもまだご健在なSF関係の方々の証言を残しておくべきでしょう。
私も、そのとおりだと思います。
私も、若輩者ながら、岡本俊弥さんのような、きちょうめんな記録は残してませんが、私の記憶に残っている範囲で、私のブログに、ぽつぽつ書いております。
by 雫石鉄也 (2012-02-20 20:05) 

高井 信

 SF界を語るには、プロの視点、ファンの視点、両方が必要と思います。雫石さんのブログも貴重な証言になるでしょう。
 ファンダムの歴史も、どなたかにきっちりとまとめてほしいものですね。柴野拓美さんが適任だったのですが……。あとを継ぐのは森東作さんでしょうか。
 え~、私は日本ショートショート史をまとめます。必要な資料はほぼ集まったような気がするので、そろそろ執筆にかかろうかと考えているところです。
by 高井 信 (2012-02-20 22:41) 

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