「宇宙船」
先日に引き続き、岡田正哉さんの作品をチェックしていました。
悩ましいのはペンネームです。私も岡田さんとの付き合いは長いですから、ある程度は知っています。それだけでも結構な数なんですが、調べているうちに、私の知らないペンネームも複数あるとわかってきて……。
私もファンジンには多くのペンネームで書き散らしたクチですが、岡田さんのペンネームは明らかに私よりも多いです。
今日はものすごい発見がありました。岡田さんのファンジン初登場は「ミュータンツ」創刊号(1963年9月1日発行)と思っていましたが、それは間違いだったと判明したのです。
「ミュータンツ」創刊の前年、「宇宙船」というファンジンの第8号(1962年3月15日発行)、第9号(1962年6月5日発行)、第10号(1962年9月26日発行)と3号連続で、岡田さんが(ペンネームで)ショートショートを発表していることを発見。私が会ったころの岡田さんは創作をされるなんて雰囲気は微塵もなかったのに、その原点はショートショート3連発だったとは……。いやはや、びっくり。
で、はたと気づくと、今年は2012年です。ん? てことは、今年の3月で岡田さんのファンジン・デビュー50年!
うわあ。来月ではないですか。これに合わせて出せるように、もう少し早く準備を開始すればよかった~。
後悔したところで、もはや手遅れです。残念。
ペンネームといえば――
限りなく岡田さんだろうなあと思いながら、しかし断定できないペンネームもあります。ことに「ミュータンツ」に掲載されているエッセイですね。1960年代の後半、岡田正哉(あるいは岡田正也)名義+私の知っているペンネームでの寄稿は不自然に少なく、絶対にもっと書いていたはずと思うんですよね。書いている内容から推測して、怪しいと睨んでいるペンネームがひとつあり、ほぼ間違いないと思っているのですが、確認ができず……。
誰かミュータンツの内幕に詳しい人はいないかなあ。>1960年代後半
【追記】2月19日
ふと思いついて、高橋良平さんに尋ねました。>謎のペンネームの件
すると即座に「それは○○さん」と。――う~~~ん、岡田さんではなかったですか。
残念ではありますけれど、もやもやが晴れて、すっきりしました。高橋さん、ありがとうございました。
【追記2】3月10日
今ごろになって、ふいに気がつきました。
>1960年代の後半、岡田正哉(あるいは岡田正也)名義+私の知っているペンネーム
>での寄稿は不自然に少なく、絶対にもっと書いていたはずと思うんですよね。
1960年代後半には、自ら代表を務める「ベム」を発行していたのでした。「ベム」に力を注ぎ、「ミュータンツ」にまで手が回らなかったんでしょう、きっと。
うん、納得です。
悩ましいのはペンネームです。私も岡田さんとの付き合いは長いですから、ある程度は知っています。それだけでも結構な数なんですが、調べているうちに、私の知らないペンネームも複数あるとわかってきて……。
私もファンジンには多くのペンネームで書き散らしたクチですが、岡田さんのペンネームは明らかに私よりも多いです。
今日はものすごい発見がありました。岡田さんのファンジン初登場は「ミュータンツ」創刊号(1963年9月1日発行)と思っていましたが、それは間違いだったと判明したのです。
「ミュータンツ」創刊の前年、「宇宙船」というファンジンの第8号(1962年3月15日発行)、第9号(1962年6月5日発行)、第10号(1962年9月26日発行)と3号連続で、岡田さんが(ペンネームで)ショートショートを発表していることを発見。私が会ったころの岡田さんは創作をされるなんて雰囲気は微塵もなかったのに、その原点はショートショート3連発だったとは……。いやはや、びっくり。
で、はたと気づくと、今年は2012年です。ん? てことは、今年の3月で岡田さんのファンジン・デビュー50年!
うわあ。来月ではないですか。これに合わせて出せるように、もう少し早く準備を開始すればよかった~。
後悔したところで、もはや手遅れです。残念。
ペンネームといえば――
限りなく岡田さんだろうなあと思いながら、しかし断定できないペンネームもあります。ことに「ミュータンツ」に掲載されているエッセイですね。1960年代の後半、岡田正哉(あるいは岡田正也)名義+私の知っているペンネームでの寄稿は不自然に少なく、絶対にもっと書いていたはずと思うんですよね。書いている内容から推測して、怪しいと睨んでいるペンネームがひとつあり、ほぼ間違いないと思っているのですが、確認ができず……。
誰かミュータンツの内幕に詳しい人はいないかなあ。>1960年代後半
【追記】2月19日
ふと思いついて、高橋良平さんに尋ねました。>謎のペンネームの件
すると即座に「それは○○さん」と。――う~~~ん、岡田さんではなかったですか。
残念ではありますけれど、もやもやが晴れて、すっきりしました。高橋さん、ありがとうございました。
【追記2】3月10日
今ごろになって、ふいに気がつきました。
>1960年代の後半、岡田正哉(あるいは岡田正也)名義+私の知っているペンネーム
>での寄稿は不自然に少なく、絶対にもっと書いていたはずと思うんですよね。
1960年代後半には、自ら代表を務める「ベム」を発行していたのでした。「ベム」に力を注ぎ、「ミュータンツ」にまで手が回らなかったんでしょう、きっと。
うん、納得です。
2012-02-18 23:17
コメント(0)
コメント 0