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『もしもし‥‥はなしちゅう』

 昨年4月19日の記事で、ジャンニ・ロダーリの新刊『パパの電話を待ちながら』講談社(09)を紹介しました。実に楽しい童話風ショートショート集です。
 記事には書きませんでしたが、訳者あとがきが気になっていました。
 まずは――
>本書は昭和四十二年に初めて邦訳されましたが(鹿島研究所出版会『電話で
>送ったお話』)
 調べてみたところ、そのあとに『もしもし‥‥はなしちゅう』大日本図書・世界のどうわ(83)という訳書も出ているとわかりました。
 もうひとつ――
>本書では、日本語に翻訳不能な言葉遊び中心の作品など、原作から十四編を
>割愛しました
もしもし‥‥はなしちゅう.JPG『パパの電話を待ちながら』に収録されているのは56編で、14編割愛されているということは、原書には全70編が収録されているということです。う~~ん、残念。
 となれば、『電話で送ったお話』と『もしもし‥‥はなしちゅう』に収録されている作品が知りたくなります。
 先日、ようやく『もしもし‥‥はなしちゅう』を入手し、さっそく収録作品のチェックを行ないました。
『もしもし‥‥はなしちゅう』に収録されているのは16編で、すべて『パパの電話を待ちながら』にも収録されている作品でした。
 残るは、初邦訳『電話で送ったお話』です。これは非常に入手困難っぽいので、図書館で借りることにしました。
 鹿島卯女編、吉浦盛純訳『電話で送ったお話』鹿島研究所出版会・かじまのどうわ(67)
 この本には58編が収録。『パパの電話を待ちながら』よりも2編多いです。といっても、単純に2編多いだけではなくて、かなりの作品異同があります。
『パパの電話を待ちながら』のみに収録されている作品:「ブリフ、ブルフ、ブラフ」「マンジョーニア国の歴史」「太陽と雲」「流れ星を作る魔法使い」「9をおろして」「眠るとき、起きるとき」「どうってことない小男」以上7編。
『電話で送ったお話』のみに収録されている作品:「北極のすみれ」「大男の髪」「チェファルの漁師」「おさるさんの修学旅行」「いぬの国」「村の井戸」「建物」「動く歩道」「孫の裁判」以上9編。
 というわけで、原書の70編のうち邦訳されているのは65編のようです。
 完訳本が出ると嬉しいですが、残る5編はおそらく「日本語に翻訳不能な言葉遊び中心の作品」なんでしょうね。外国語に翻訳不能な言葉遊び小説を好んで書いている人間としては、文句も言えません(苦笑)。


【追記】2月19日
 書いてもいいのか迷っていましたが、書くことにします。
 古い児童書を読んでいると、現在では考えられないような訳文が頻出します。
 この記事で採り上げた本でも、1967年刊『電話で送ったお話』の109ページには「こういって魔法使いは、びっこで、せむしで、半めくらで、そのうえ、よごれてあかだらけのこじきを指さしました」なんて書かれています(吉浦盛純訳)。いま、こんな訳文を世に出すことはまず不可能でしょう。
 2009年刊『パパの電話を待ちながら』では同箇所は「魔法使いが指さしたのは、足が不自由で背中にはこぶがあり、目も半分やぶにらみで、薄汚れてかさぶただらけの乞食でした」となっています(内田洋子訳)。
 おわかりと思いますが、いわゆる差別語というやつです。
 この例に限ったことではありません。私たちは子どものころ、こういう訳文をごく当たり前のものとして、何も考えることなく読んで育ったんですね。だからと言って、差別意識が芽生えたり増大したりということはなく……。
 で、ふと思い出したのが『ハリー・ポッター』における差別語騒動です。以下は、それを伝える新聞記事――「朝日新聞」2001年2月8日の夕刊です。
新聞記事.jpg
 どういう差別語が使われていたのか、ここでは書きません(ネットで検索すれば、すぐにわかります)が、どうしてこんなに騒ぐのか……。
 差別語って何なんでしょう。その言葉自体が悪いわけではなく、それを使う人間次第です。言葉自体を抹殺するという考え方は、どうにも理解できません。
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