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「顎マスク」

 ポストコロナのSFに続き、コロナ渦中のSFをご覧に入れます(SFとは言えないかもしれませんが)。「ダルマさんがコロナ」と同じく、「SFハガジン」139号(2020年6月6日発行)に掲載。のちに『神々のビリヤード』ネオ・ベム(2020年8月8日発行)に収録しました。
            ※           ※

   顎マスク

 街を歩いていたら、向こうからマスクを顎にしている男性がやってきた。知らない男だが、気になる。放っておけばいいのに、それができない性分なのだ。
「もしもし。よけいなお世話かもしれませんが、マスクを顎にしても効果はありませんよ。それどころか、かえって不衛生で、感染のリスクが上がるという話もあります」
「ああ、そうですか。でも、どうぞご心配なく。私は顎で呼吸をしていて、それで顎にマスクをしているんですから」
「あ、顎呼吸……?」
 意外すぎる対応に、私は言葉を失った。なんというユーモラスな返し。相手は通りすがりの見知らぬ男だ。笑って別れることもできるが、男のノリに便乗したくなった。
「では、マスクの上にあるものは、なんですか」
 笑いをこらえながら問いかける。
「ん?」
「それ、鼻と口でしょ。それは何に使っているんですか」
 すると男は初めて気がついたように、
「あ、これですか。……ただの飾りですよ。だって、ないと変でしょ」
「か、飾り……?」
 ふたたび私は言葉を失った。
 この男、いったい何を考えているのだろう。「顎で呼吸している」だの「鼻も口も飾り」だの、どうしてそんなユーモラスな、言い換えれば珍妙な、はっきり言えば意味のない言いわけをするのだ。私たちはただの通りすがり。生返事をして、立ち去ればいいだけの話ではないか。
 私がじろじろと男の顔――特に剥き出しの鼻と口のあたりを見ていると、
「鼻と口がそんなに気になりますか。それでは……ほら」
 男は言い、右掌(みぎてのひら)で顔をつるりと撫でた。と同時に、マスクが落下し、ぱさっと地面へ。
「え?」
 思わず私はマスクを目で追った。
(はて、なぜマスクが? 外す気配は見えなかったけど)
 地面から視線を男の顔に戻した途端、
「うわっ」
 私は驚きの声を上げた。
 男の顔には、何もなかったのである。鼻と口だけではない。目も、さらには耳も……。
            ※           ※
 ちなみに、「SFハガジン」139号は「コロナ退散祈念号」でした。
 こんなラインナップです。
「コロナ前・コロナ後」梶尾真治
「顎マスク」高井信
「アマビエ考」深田亨
「密」尾川健
「土曜の犬」江坂遊
「ダルマさんがコロナ」高井信
「密です」喜多哲士
「ミント」深田亨
「熱病」山本孝一
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