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ファンジン発掘

 そんなわけ(→この記事のコメント欄参照)で、ファンジンを入れたダンボールをごそごそ。必要なファンジンを取り出しました。
 やっぱり「ひゅーまんるねっさんす」(右上、オレンジのファンジン)はでかいなあ(笑)。分割スキャンしないといけません。
ファンジン.JPG

宇宙鏖.jpg ついでに、別件ではありますが必要になったので、「宇宙鏖」も取り出してきました。「宇宙塵」のパロディ誌です。
 はたと気づけば、「宇宙鏖」の発行は2004年。あれから12年が経とうとしているのですね。14年周期での刊行(→この記事参照)ということを考えると、そろそろ何か動きが……?
 本家が終焉を迎えた(→この記事参照)ことで、新しい趣向が凝らされるかもしれません。期待しましょう。
 ちなみに、ネオ・ベム刊「字宙塵」(→この記事参照)は全く関係ありません。

【追記】3月2日
 コメント欄をご覧ください。
「ひゅーまんるねっさんす」第9号(1971年8月20日発行)です。
ひゅーまんるねっさんす9号.jpg

【追記2】
「ひゅーまんるねっさんす」第9号は1971年8月15日発行(1971年8月20日印刷)でした。お詫びして、訂正いたします。(コメント欄参照)。
 せっかくなので、「ひゅーまんるねっさんす」を並べて撮影しました。創刊号から11号(最終号)まで。1~8はB5判、9~11はB4判です。でけええ。
ひゅーまんるねっさんす.JPG

【追記3】6月3日(コメント欄参照)
 神澤隆さんが描かれた小松左京イラスト・パネルの写真を掲載します(山本孝一さん提供)。
小松左京パネル.JPG
コメント(33) 

コメント 33

尾川 健

「ファンジン」いいですね。見るとうっとりします。
是非書影掲載をよろしくお願いします。

「宇宙鏖」といえば、先日古書店で「宇宙鹿」を見つけ、そんなに高くなかったので、ふらふらと買ってしまいました。いけません…。
by 尾川 健 (2016-02-09 21:36) 

尾川 健

すみません。
「宇宙鹿」ではなく、買ったのは「宇宙塵紙」でした。
自己レス、失礼いたしました。
by 尾川 健 (2016-02-09 22:50) 

高井 信

 ファンジン、いいですよね~。
>是非書影掲載をよろしくお願いします。
 表紙に6枚、裏表紙に9枚掲載しました。表には色鮮やかなのを選んで(笑)。本文はモノクロですが、表紙はカラーにします。
 完成間近です。

「宇宙鹿」ほどではないですけれど、「宇宙塵紙」もレアなのではないでしょうか。発行時、私はすでに「宇宙塵」の会員でしたので、「宇宙塵紙」は会誌に同封されていました。懐かしいです。
by 高井 信 (2016-02-09 23:28) 

神澤 隆

久し振りに伺ったら、懐かしい物が!!
「ひゅーまんるねっさんす」の特大号。
確か辻田東洋雄さんから
「日本一大きな同人誌を作るから」と言われて
表紙のデザインを頼まれ、最初に勤めていた広告代理店の勤務中にコソコソと描いていました。
もう40年以上前のことです。

by 神澤 隆 (2016-03-01 19:28) 

高井 信

 へえ。神澤さんのデザインでしたか。奇遇と言うか、なんと言うか。
>「日本一大きな同人誌を作るから」と言われて
 実は私、そのちょっとあとに、もっと大きなファンジンを作っております。
http://short-short.blog.so-net.ne.jp/2011-06-20
 もちろん当時は「ひゅーまんるねっさんす」のことは知らず、なんとなく作ってしまったものですが(笑)。
 あれから40年あまり。いまだに、あれより大きなファンジンにはお目にかかっていません。もしかすると日本一かも。
by 高井 信 (2016-03-01 20:11) 

神澤 隆

恥ずかしながら、私のデザインです。
画面では判りにくいですが
人類の文明が滅亡した未来、かつてアメリカと言われていた地。
崩れた自由の女神は砂に埋もれ、タコ型(ベタな)宇宙人が転がっていたコカコーラのビンを拾うと、中からアメリカを象徴するスーパーマンが飛び出す。

こういうイメージを描きました。
ただ、私の所にはこれは届きませんでしたので
原画通りかどうかは解りません。
by 神澤 隆 (2016-03-02 11:33) 

高井 信

 あ、なるほど。そういう絵でしたか。
>ただ、私の所にはこれは届きませんでしたので
>原画通りかどうかは解りません。
 ちゃんとそうなっていますよ。
 記事に大きな画像を貼っておきますね。大きいので分割スキャンしました。継ぎ目が少し気になりますが、ご容赦を。
by 高井 信 (2016-03-02 12:43) 

神澤 隆

有難うございます。
画像をDLさせて頂きました。

改めて見ますと、原画とはやはり違っている所がありますね。まあ、原画を鉄筆でトレースするので違って当たり前なんですが。
原画は2ミリ程の線でした。崩れた自由の女神が省かれているのと、コカコーラのビンの中央のくびれが無くなっています。笑)
あ、思い出したことがあるので、もしご存知でしたら教えて頂きたいのですが?
「ひゅーまんるねっさんす」に姉妹号というのは有りましたか?
その表紙は私がガリ切りしたという記憶があるんですが。
HUMAN RENAISSANCE SISTER
と言う縦長の書体のタイトルの下に
左手にショートカットの女性、右にはその女性に跪き花(花束?)を捧げるロボット。
そんなイラストだったと記憶していますが。
唯、やはり2ミリ程の太い線でガリ切りをしたので、それが印刷できたのかどうか、解りません。
それが実際に出版されたのかどうかも解りませんが・・・。
多分、1972年ぐらいに描いたと思うのですが。
by 神澤 隆 (2016-03-02 13:45) 

高井 信

>HUMAN RENAISSANCE SISTER
 記憶にないですねえ。
 山本孝一さんがご存じかも。
by 高井 信 (2016-03-02 17:15) 

神澤 隆

度々失礼ですが、思い出した事がありましたので。

「ひゅーまんるねっさんす」第9号は、大阪で行われた「DAICON Ⅱ」の会場で販売用に、目立つように大きなサイズにしたのではないかと思います。
1971年8月20日発行とありますが、辻田東洋雄さんの奥さんは、8月15日発行と言っておられるので、会員用には15日、会場販売用は20日発行になっているのかもしれません。
それと辻田さんから「日本一大きなサイズの同人誌を作る」と言われてデザインしたのは、
姉妹誌の方かもしれません。何しろ昔の事で記憶が曖昧になっていますが、そう言われたのは間違い有りません。
もしかしたら、サイズで抜かれたので、負けじとさらに大きなものを企画されたのかもしれません。
こちらのブログをご覧の方で、そこら辺、詳しく知っている人は居ないでしょうかね?
by 神澤 隆 (2016-03-02 20:52) 

高井 信

>1971年8月20日発行とありますが、辻田東洋雄さんの奥さんは、8月15日発行と言っておられるので
 おおーっと。確認しますと、
>発行日1971年8月15日
>印刷日1971年8月20日
 となっていました。ちゃんと読まず、あとのほうを発行日と思いこんでしまいました。すみません。
 しかし、印刷する前に発行?(笑) まあ、ファンジンならではのお遊びでしょうね。そういえば、私もそういうのをやったことがあります(笑)。
by 高井 信 (2016-03-02 21:08) 

山本孝一

 このデカい9号は私も持ってました。
数年前に、当時の「パンパカ集団」の会員で、今はもう「ひゅーまんるねっさんす」を持っていないという方に手元にあった何冊かを進呈したのですが、そのなかにこの9号もあったと思います。
この「スーパーマン」の表紙はよく覚えます。
>>HUMAN RENAISSANCE SISTER
>記憶にないですねえ。
>山本孝一さんがご存じかも。
いや、私も知りません。
お遊びでそんな姉妹号を出してもおかしくないグループでした。
 こんなデカいのを作るかと思うと、タイプオフセット印刷で見事なのを出したり。そのタイプオフ号の表紙は、当時「虹色の湖」という歌を歌っていた中村晃子の写真じゃなかったかなぁ。ワケがわかりませんでした。
 ガリ版刷りのある号では、ページを繰ったら見開きの広いスペースに大きな字で「お前はアホか!」としか印刷されてなかったり。
 SFフェスティバルに参加したときには、大広間に参加者が車座に座り、ひとりひとり自己紹介と参加グループを名乗るのですが、米田泰一さんという方が知り合いのファンに「自己紹介の時に『上方SF研究会』の会員といってください」と声をかけて回りました。もちろん、架空の会です。で、私もその通りに言ったのですが、かなりの人がつぎつぎと『上方SF研究会』所属と名乗り、そんな会があったのかと大広間がざわめきました。ま、そんな遊びが好きな会でした。
当時の若いファンももう六十代。
会いたいものですねぇ。
by 山本孝一 (2016-03-02 22:46) 

高井 信

 山本さん、ありがとうございます。
>タイプオフセット印刷で見事なのを出したり。そのタイプオフ号の表紙は、当時「虹色の湖」という歌を歌っていた中村晃子の写真じゃなかったかなぁ。
 4号ですね。そうか~。確かに、言われてみれば中村晃子!
 それにしても山本さん、よく覚えておられますね。毎度、驚かされます。(ただ一点、タイプオフではないです。タイプ印刷)
by 高井 信 (2016-03-02 23:18) 

神澤 隆

ちょっと確認したいことがあったので覗かせてもらったら、又々追加の写真がアップされていて、ビックリしました。
「ひゅーまんるねっさんす」の全号の写真を見ていたら、記憶を呼び戻ってきましたので、それを少々、書かせていただきます。
私は、創刊号と最終の11号は持ってましたが、保管していた物置が近くの川が氾濫した時、水に浸かりカビが生えて来たので他の本と一緒に、泣く泣く処分してしまいました。
ダンボール4〜6箱分の本で、保存していたほどですから、大切にしていた本ばかりでした。
創刊号は辻田さんから贈られたもので(最初の出会いは石森章太郎FCでした。辻田さんは当時関西支部長。青木さんは手塚FCの関西支部長と紹介されました、11号はどうして手に入れたのか記憶にありません。)
それと以前「崩れた自由の女神」を描いたと書き込みしましたが、それは画面で言うとスーパーマンの右下でした。
見本に見せてもらった「ひゅーまんるねっさんす」の文字が横組みで、上の方にあったので、そこに配置したんですが、「ひゅーまんるねっさんす」の文字を大きくする為に縦組みにした関係で、自由の女神の部分が入らなくなって、カットされたんではないかと思います。
まあ、40年以上の事で、しかも推察なので実際はどうかはわかりませんが・・・。
それと「ひゅーまんるねっさんす」の発行日は他の号も15日になっていませんか?
もしそうなら9号の印刷日が20日になっているのは、翌日がDAICON Ⅱの初日だったので、ギリギリに印刷していたのかもしれません。
その他、私はDAICON Ⅱの入場券のデザインと、会場で販売した日本人作家のイラスト数点を辻田さんの依頼で描きました。
売れたのは小松左京のイラストだけだったと思いますが。
by 神澤 隆 (2016-06-01 23:07) 

高井 信

 神澤さん、お久しぶりです。
 川の氾濫で水没ですか。それはつらいですね。私も阪神大震災のときには泣きました(当時、三宮に在住)。天災ばかりはどうしようもないですね。
>それと「ひゅーまんるねっさんす」の発行日は他の号も15日になっていませんか?
 何冊かチェックしてみたところ、ばらばらでした。
 昔のファンジンを見ていると、当時にタイムスリップしちゃいますね。私は「ひゅーまんるねっさんす」の方々よりも少し下の世代ですが、それでも楽しいです。
by 高井 信 (2016-06-02 08:19) 

山本孝一

>私はDAICON Ⅱの入場券のデザインと、会場で販売した
>日本人作家のイラスト数点を辻田さんの依頼で描きました。
 そのイラストって紙じゃなくて、パネルに描かれたもので、星さんとか小松さんをヒトコマ漫画風に描いたものじゃなかったですか。
 星さんの絵は、星さんは実は宇宙人で、星さんの着ぐるみが部屋に掛けてありタコみたいなエイリアンが机でせっせとショートショートを書いている……という絵では?
>売れたのは小松左京のイラストだけだったと思いますが。
会場で展示後にオークションにかけられましたがどの絵も好評で全部売れましたよ。
私は星さんの絵を狙っていたのですが値が上がりすぎて買えませんでした。
次に欲しかった小松さんの絵を落としました。行動派の小松さんらしく、地球より大きな小松さんが、ボールのような地球の上を闊歩しているという絵でした。
あとで誰かに(辻田東洋雄)絵の作者を紹介してもらい、小松さんの絵を落としましたよとあいさつした覚えがあります。
もしかしてその方が神澤さんだったのかなぁ。
会場に小松左京さんご本人がおられたのでそのパネルにサインしてもらいました。ところがパネルに書かれていた名前がKOMATU SAKIYO となっていたので、快くサインをしてくださった小松さんですが、サインをしながら「誰や、小松サキヨって」とおっしゃってました。
 そのパネルはもちろん今もあります。そんなことはすっかり忘れてましたが四十数年年ぶりに思い出しました。
by 山本孝一 (2016-06-02 21:59) 

山本孝一

一部訂正
「あとで誰かに(辻田東洋雄)」を
「あとで誰かに(辻田東洋雄さんだったかもしれない)」
と訂正します。
by 山本孝一 (2016-06-02 22:03) 

神澤 隆

小松さんの絵を買って頂いたのは山本さんでしたか。
>そのイラストって紙じゃなくて、パネルに描かれたもので、
私の記憶ではA4の木製パネルにケント紙を水張りで張り、
ポスカラ(ポスターカラー)で描いたと思います。
パネルの縁は濃い緑色の紙テープを巻き、その上にビニールを張っていたはずです。
小松さんがサインをする時、そのビニールを剥がしてサインをされていました。
私は姫路に住んでいまして、当時は会社も姫路の広告代理店のデザイナーでした。
DAICON Ⅱの初日は確か土曜日で、仕事が夜遅くまであり参加出来ず、二日目も会場に着いたのは昼過ぎだったと思います。
会場には関係者として無料で入場させてもらい、ブラブラしていたら丁度作家のサイン会の時間で、小松さんが私の描いた「小松左京のイメージ画」にサインしているのに出くわしました。
それがどんなだ物だったか、記憶だけなのですが、
画面の中央に地球、その周りの宇宙空間を人工衛星のように、アイコン化した小松左京さんが、
口からマンガの吹き出しを様な物を吹き出しながら回っている。
そんなイラストだったはずです。
他の作品はどんなものを描いたのか、全然覚えていません。
会場で小松さんを見たので印象深買ったので、その絵だけ記憶に残っているのだと思います。
>名前がKOMATU SAKIYO
思い出しました。それで恥ずかしくて、私は小松さんに挨拶できなかったんです。
他の作品も売れましたか?道理で手元に残っていないはずですね。
もしかしたらパネルの裏にマジックインクでT.Kと書いたかもしれません。
入場券のデザインは、類人猿から現代人までの進化の姿をシルエットで描いたと思います。
よくあるデザインですが。
「DAICON Ⅱ」の文字はインレタ(インスタントレタリング)で作り
それをカメラで複写して、印画紙に適切なサイズに紙焼きした物を張り込んだと思いますが・・・。
by 神澤 隆 (2016-06-03 01:44) 

高井 信

 楽しいエピソードが掘り出されました。こういうとき、ブログをやっててよかったなあと思います。
 神澤さん、山本さん、ありがとうございます。

 ちなみに、DAICON Ⅱは1971年開催。45年前であります。
by 高井 信 (2016-06-03 07:50) 

神澤 隆

昨日は睡眠導入剤を飲んで、薬が効くまでと思い、こちらを覗かせてもらったら、山本さんの書き込みを見て、ぼーっとしながら書き込んでしまいました。
そのせいで、所々変な文章になっています。

吹き出しを様な → 吹き出しの様な
印象深買った → 印象深かった

に訂正です。 ☺️
by 神澤 隆 (2016-06-03 08:57) 

高井 信

 山本さんから、神澤さんが描かれた小松左京イラストパネルの写真を送っていただきました。記事本文に掲載します。
 想像していたよりもずっといいですねえ。ほかの作家のものも気になります。
by 高井 信 (2016-06-03 13:00) 

山本孝一

高井さん、ありがとうございます。
小松さんのサインは当日(1971年8月21日)にいただいたもの。
>ほかの作家のものも気になります。
私もです。
お持ちの方で高井さんのこのブログをご覧になっておられたら、連絡してほしいものです。


by 山本孝一 (2016-06-03 13:59) 

神澤 隆

山本さん、高井さん有難うございいます。
山本さんに絵の写真を何とか見せてもらえないだろうかと、お願いするつもりで訪問しましたら、既にアップされているとは!
私の記憶と余り違ってなくて良かったです。
それにしても半世紀近く前の物を綺麗に保存して頂き感謝にたえません。
昨年当時勤めていた会社のOB会があり、思い出話をしていたら、後日パンパか集団の事も思い出され、11月頃から情報を集めていて、このブログを発見し時々拝見するようになった次第です。
本当に有難うございます。
by 神澤 隆 (2016-06-03 16:50) 

山本孝一

今朝、思い立って本を詰め込んである物置を探したらパネルが見つかったので、デジカメで撮影して高井さんに送ったらすぐにアップしていただけました。
袋に入れて保存したままで40年以上見ることもなかったのですが、ほとんど汚れていませんでした。
(下の絵の白い吹き出しの部分が少し汚れてますが)
パネルの裏面を見たら、はっきり「神澤」と署名してありました。
昨日の書き込みは記憶だけでしたので、今朝絵を見なおしたら少し違ってました。
こうなると残りのパネルも見たいですね。誰か写真に撮って残していないかなぁ。
私も当時のことを懐かしく思い出しました。
高井さんありがとうございました。
by 山本孝一 (2016-06-03 17:40) 

神澤 隆

「神澤」のサインが有りましたか。
それならそのパネルは学生時代の課題作品提出用に使っていたものを、再利用したのかもしれません。
山本さんがご覧のように、私は自分でもイヤになるくらいの悪筆で、学生時代以外は「T.Kanzawa」とグニャグニャした字でごまかすか、TとKを組み合わせたものをサイン代わりにしていました。
描いた作家は記憶を辿ると、小松左京、星新一、筒井康隆、光瀬龍、もしかしたら豊田有恒も描いているかもしれません。
小松さん以外、うっすらと覚えているのは光瀬龍で「百億の昼と千億の夜」をモチーフにして、弥勒がマリオネットを操っているのを、描いたんじゃあなかったかと・・・。
画像を見る限り色は変色していませんが、トリパブを吹き付けたお陰かもしれません。AとB両方吹き付けたのかな?
そして、私はいくらで売れたかは聞いていませんが、「幾ら払いましょう」と誰かに言われて、材料代として、パネル1枚につき千円貰ったんじゃあなかったかな。
by 神澤 隆 (2016-06-03 22:04) 

神澤 隆

有難うございます。

後日、小松左京のイラストを掲載する時は、此方のブログを紹介するという形式を採らせて頂きます。

又、事前に連絡させて頂きます。
by 神澤 隆 (2016-06-09 09:44) 

神澤 隆

「ひゅーまんるねっさんす」でお尋ねしたい事が有ります。

この同人誌はガリ版刷りで、写真の部分は一枚づつ紙焼きしたモノクロ写真が貼ってあったと記憶しているのです。
それで10号はダイコン公式レポートのはずで、その号にDAICONの会場風景などの写真は貼ってありませんか?
もし有りましたらUPして頂けませんでしょうか。
by 神澤 隆 (2016-06-12 20:35) 

高井 信

 確認しましたが、10号には写真は1枚も貼付されていませんでした。残念。
by 高井 信 (2016-06-12 21:31) 

神澤 隆

お手数をおかけしました。
写真はありませんでしたか。

そう言えば創刊号にはなかったような・・・
私も経験有るんですが、複写してフイルム現像から紙焼きまで、大変でした。
紙焼きの露光時間は数を数えて、殆ど勘でしたから。
当時は経験が物を言うアナログの時代でした。
by 神澤 隆 (2016-06-13 17:16) 

神澤 隆

明日、私のブログに山本さんから提供して頂いた、小松さんのイラストをアップします。
(小松左京シリーズ)として三回に分けて掲載にする予定です。

その第1回目に、イラストとコメント欄の要約も書かせてもらいます。

それと、この記事の前の「ブロニカシリーズ」に、私の若い時の写真をアップしています。
山本さんは記憶に残っておられないとは思いますが、当時の私がこんな感じだったと思っていただければ幸いです。
40年前の写真です、アップしても何の問題も無いでしょう。

為念
http://fukugankanwa.blog.fc2.com/blog-date-201606.html
by 神澤 隆 (2016-06-29 10:38) 

神澤 隆

山本さんが落札された作品他は、DAICONⅡのオークション用に描いたものでなく、姫路の中井三成堂という画廊で開催したデザイナ仲間数人の「合同展」用に描いた物だと、この度判明しました。
それが終わったので辻田さんに頼まれた時、これが良いだろうと提供した様です。
by 神澤 隆 (2018-02-17 10:43) 

高井 信

とのことです。>山本さん
by 高井 信 (2018-02-17 14:02) 

山本孝一

>とのことです。>>山本さん
そんな裏話があったのですね。
ほんの二時間ほど前に落語のDVDを探しに書庫(というほどのものでもなく物置場)に行ったら、話に出てきた小松左京さんを描いたパネルが目に入ったばかりです。
「辻田さん」というのは辻田東洋雄さんですが、その彼も亡くなってずいぶん経ちます。
このような楽屋話が分かる人ってどれほどいるのかなぁ。
DAICONⅡ。ついこの間のように思うのですが、あれから四十数年も経つのですねぇ。
by 山本孝一 (2018-02-17 22:03) 

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