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初めてのファンジン?

 今年2月に発行した風雅誠『デパート殺人事件』の「なかがき(高井信)」に――

 この小説の原型はその二年前、中学三年の三学期に書きました。高校時代の記録に――
 原型ができたのは昭和四十八年の二月、たった七枚だった。それ以後、三月、十一月と書き直し、四十九年二月にやっと完成した。四度目のトライであって、五倍の三十六枚にもなってしまった。
 とあります。
 現在、私の手元に原稿用紙の形で残っているのは以下の三バージョンです。
・八枚(おそらく一九七三年三月バージョン)
・二十八枚(おそらく一九七三年十一月バージョン)
・三十六枚(一九七四年二月バージョン)
 で、その一年後、ガリ版冊子として発行したわけです。その際にはさらに改稿し、四十三枚になっています。

 と書きました。
 本日、本の形をした『デパート殺人事件』を発掘!
デパート殺人事件.jpg 画用紙に手書き。パンチで穴をあけ、プラスチックのリングで綴じています。縦9センチ、横6センチ。50ページ以上ありますが、登場人物一覧、サインのページ、複数の扉、他人を装った解説、著者略歴など、遊びがいっぱい。小説自体は35ページです。
 1ページはおおむね20字×7行ですから、3ページで原稿用紙1枚分。全体で12~13枚といったところでしょうか。
 発行日は昭和48年(1973年)3月7日となっています。これは上記の8枚バージョンを改稿したものと思われます。(小さく「二版」とありますが、これはあとで書きこまれた様子。「初版」の存在は不明)
 巻末には作品リストもあります。いや実は、中学3年の夏くらいから、しょうもないものをノートに書き散らしていたことは覚えているのです。原稿用紙に書いたわけではなく、落書きに等しいものだったと認識していて、小説としてカウントしていなかったのですが……。
 作品リストを見ていますと、なかには「必勝法」「物忘れ」「自殺するには…」なんてタイトルも見受けられます。「自殺するには…」は1973年2月に書いたと推測されているので、3月刊の本(?)に作品名が挙げられていても不思議はないんですが、「必勝法」や「物忘れ」は(原稿用紙に記されている日付から)高校1年のときに書いたものだと思っていました(『江戸門戸狂人ショートショート集』『江戸門戸狂人全集』に収録)。原稿用紙に書いたのは高校1年のときでも、作品(たぶん原型)自体は中学3年のときに書いていたんですね。う~~~~む、まったく覚えていない。
 ほかに「アラビアのドデンス」「怪奇変身鬼女」「洞窟の中の別世界」「あるアンドロイドの悲劇」「新・人類の起源説」「幻想世界」「危機」「一年後の別人間」「理想の異次元」「執念のタイムマシン」「盲点」「地上育ちの地底人」「漁夫の利」……。
「洞窟の中の別世界」だけ、かすかに記憶があるような、ないような……。ほかは全く記憶なし。どこかのダンボールに埋もれている可能性も皆無ではなく、かなり気になります。
 う~む、うむむむ、うむむむむ……。

 あ!
 たぶんこれが、初めての手作り本です。それは同時に、私の初めてのファンジン!
 あ、いや、これをファンジンにカウントしてはいかんか(笑)。
 正式には、私の初めてのファンジンは『ペルシダー・グロッサリー』(1974年9月10日発行)ということにしておきましょう。
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