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シルエット児童劇『家なき子』

 記憶に残っている最も古いテレビ番組は……?
 と思いを巡らせて、それを確定するのは困難なのですけれど、実写版『鉄腕アトム』が有力候補ということは間違いありません。ウィキペディアによりますと、本放送は1959年3月7日~1960年5月28日とのこと。私は1歳か2歳。観ていたかもしれませんが、覚えているとは思えないですね。何度も再放送されたようですから、私が観たのは再放送と思います。いつの再放送なのか定かではないのですが、いずれにしても、うっすらと観た記憶が残っている程度でして、幼いころであったことは間違いないでしょう。

 その実写版『鉄腕アトム』と同じくらい、うっすらと記憶に残っているのがNHKの人形劇『チロリン村とくるみの木』です。こちらの放送期間は1956年4月14日~1964年4月3日とのこと。私が生まれる前にスタートし、6歳のときに終了。
 ほんと、観た記憶がある程度で、さほどの思い入れはないのですが、ブックオフのDVDコーナーにて『NHKの人形劇クロニクルシリーズvol.1 チロリン村とくるみの木』を目にし、何気なく手に取ったところ――
 メインは『チロリン村~』で、テレビ放送の最後の2話+映画『チロリン村の村長選挙』を収録。それだけではなく、『テレビ天助漫遊記』と『家なき子』も収録されています。どっちも全く知らない番組ですが、それも道理。両番組とも放送されていたのは1955年、私が生まれる前なのです。前者は人形劇、後者はシルエット児童劇(影絵)。
 この記事にもちらと触れましたが、私はマロの『家なき子』が大好きです。お猿のジョリクールが死んでしまうシーンでは涙を流した思い出も……。まさに感涙の名作と思います。その影絵劇ですか~。
チロリン村とくるみの木.jpg 家なき子(影絵).jpg
 興味がむくむくと湧き起こり、買うことにしました。さっそく、まずは『家なき子』を鑑賞。
 DVDに収録されているのは1955年9月28日放送の最終回のみです。
 う~~~む。なんとも言えない雰囲気があり、こういうのも嫌いではありませんが、さすがに古いですねえ。子どものころに観たかったです。
 下の書影は『家なき子』河出文庫(96)、『家なき兒』改造社・世界大衆文學全集(28)。もちろん、大人になってから買った本です。改造社版は菊池幽芳訳。おおおっ!
家なき子.jpg 家なき兒.jpg
 子どものころに観た人形劇といえば、『伊賀の影丸』が強く印象に残っています。
 ウィキペディアを見ますと――
>1963年11月5日から1964年11月3日まで、TBS系で人形劇が放送された(全52話)。
 私が6~7歳にかけての放送ですね。これはかなり夢中になって観ていました。観られるものなら、もう一度観たいなあ。
 ネットで映像を探しましたが、見つからず。主題歌はここで試聴できました。
 うわあ。懐かしい!
『宇宙船シリカ』や『空中都市008』も試聴できます(嬉)。

【追記】
 ふと、そういえば『鉄人28号』も実写ドラマがあったなあと思い出しました。こちらはリアル・タイムで観ていた記憶は皆無で、大人になってからビデオで少しだけ観ました。

 いつの放送だったのだろうと、またもウィキペディア。
 1960年2月1日~4月25日放送ですか。私は2歳。仮に観ていたとしても覚えていないですね。
 それはいいんですが、ウィキペディアを読んでいて――
>SFアドバイザー:星新一
 あ、そうだったのですか。知らなんだ~。
コメント(4) 

コメント 4

山本孝一

>記憶に残っている最も古いテレビ番組は……?
昭和30年頃か、隣家の息子さんは京大の理系を出た秀才で、
テレビ受像機を手作りされました。
見せてもらいに行ったら函などはなく真空管などがむきだしで
薄暗い部屋にブラウン管が光っておりました。
映っていたのは野球中継で、今から思うと妙に緑っぽい画面でした。
ついでに書きますと、初めて見たカラーテレビの番組はNHKの連続ドラマ
「バス通り裏」です。昭和36~37年頃、納涼のために動物園が夜間も開いていて、広場においてあったテレビで見たのですが
いやぁ鮮やかでした。
親父は『不自然や、色が青っぽすぎるなぁ』と言ってましたが。
人形劇『伊賀の影丸』は私も覚えてます。
もっともテレビが一家に1台しかない頃なので、チャンネルの奪い合いで
この人形劇はめったに見せてもらえませんでした。
忍者が切られると人形が真っ二つになるという趣向に驚きました。
人形劇では同じ頃、竹田人形座の「孫悟空」を毎週見てました。
こういう話題なると話がつきませんね。

星さんが実写版『鉄人28号』のSFアドバイザーだったとは私も初耳です。
本当かなぁ。別の誰かとの間違いじゃないのかなぁ。


by 山本孝一 (2012-10-14 16:37) 

高井 信

>人形劇では同じ頃、竹田人形座の「孫悟空」を毎週見てました。
 これは知りませんねえ。私が知っているのはドリフターズの人形劇『飛べ!孫悟空』です。ピンクレディーがナビゲーターを務めていたもの(1977~79)。私は大学生で、学生寮で生活していました。もちろん部屋にテレビはなくて、テレビが観られるのは食堂のみ。観る番組は多数決で決まります。観られたということは、この番組、けっこう人気があったんですね。
 1970年以降でしたら、山本さんと共有体験は多いですが、それ以前となると年齢差が大きいですよね。

>星さんが実写版『鉄人28号』のSFアドバイザーだったとは私も初耳です。
>本当かなぁ。別の誰かとの間違いじゃないのかなぁ。
 どうなんでしょう。まあ、名前を貸したとか、そんなところではないかと思うのですが。
by 高井 信 (2012-10-14 18:55) 

高井 信

 実写『鉄人28号』ですが、番組冒頭で「アドヴァイサー 星新一」とクレジットされているのを確認しました。「SF」とは限定されていません。ウィキペディアの情報ソースおよび、星さんがどの程度関与されたのか気になります。
by 高井 信 (2013-02-21 23:22) 

kojiro

実写の鉄人は、リアルタイムで見ました。アトムは、再放送で見ました。星 新一さんのアドバイスがあったのかどうかは、存じません。
アトムも、鉄人もコスチュームと言うか、造型が途中で大きく変わっているので、ひょっとして、そこらへんにコメントされたのかもしれませんね。
アトムなど、苦心の作の原作に近いコスチュームを、さっぱりと捨ててしまい、原作と違い上半身まである服を着せるようにし、マフラーまで巻いたのですからね。ブーツも短くなり、タイツが目立つようになり、相当に思い切った変更でしたからね。
雑誌の少年に、当時、「アトムのコスチュームが変わります。こっちの方が評判が良いようです。」と、放送で変わる前に紹介していましたから、どなたかのコメントがあったのは、間違いないと思います。
アトム役の少年は、ふっくらとして脚が長いので、ボディコン?の服を着せても似合うとアドバイスしたとか。
火星探検隊長の時の軍服も原作とは、随分違い、ズボンも履かず、飾諸のついて短い上着だけでしたが、ズボンは不要とアドバイスしたとか(笑)。私の仮説はてかがでしょうか。
by kojiro (2014-10-05 23:46) 

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