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眉村卓の商業誌デビュー

 毎度お馴染み、大熊宏俊さんのところで、何やら楽しげな計画がアナウンスされています。
 そこで、眉村卓の商業誌デビューについて、ちょっと調べてみました。

◆「ヒッチコックマガジン」1961年5月号(22号)に「眉村卓ショート・ショート集」が掲載。全5編で、うち4編は「宇宙塵」1961年1月号(40号)からの転載です(下記参照)。その後も6月号に「古都で」、7月号に「お別れ」、8月号に「夜のたのしみ」、10月号に「雑種」……と矢継ぎ早に掲載されます。書影は7月号(24号)です。
◆「別冊宝石107号 ショート・ショートのすべて」(1961年7月)に「くり返し」が掲載。この作品は「宇宙塵」1961年1月号(40号)に掲載(下記参照)されたのち、「ヒッチコックマガジン」1961年5月号(22号)に転載(上記参照)されました。短いスパンで2度も転載されたことになります。
◆「SFマガジン」1961年10月号(22号)に「下級アイデアマン」が掲載。空想科学小説コンテストの佳作第二席に入選した作品です(この記事参照)。同誌への2度目の登場は意外にも間隔があいて、1962年9月号(34号)の「わがパキーネ」です。
ヒッチコックマガジン.jpg 別冊宝石.jpg SFマガジン.jpg
 ついでに、SF同人誌「宇宙塵」と「NULL」への初登場も調べてみました。
◆「宇宙塵」1960年11月号(38号)に「その夜」が掲載。書影は2度目の登場、「眉村卓掌編集」が掲載されている1961年1月号(40号)です(全6編)。
◆「NULL」5号(1961年10月)に「墓地」「傾斜の中で」が掲載。
宇宙塵.jpg NULL.jpg
 実は私、眉村卓は「SFマガジン」のコンテストでデビュー、と思っていましたが、とんでもない思い違いでした。思い込みは危険ですね。反省しています。
 この記事に間違いはないと思うのですが、現物チェックができていないものも多く、あまり自信はありません。はたと気づけば、私が3歳とか4歳のころなんですよね……。

【追記】2022年9月1日
「ヒッチコックマガジン」1961年5月号(22号)、入手しました。→この記事
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