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玉川一郎編のフランス・コント集

 先日の記事ふらんす 風流ざんげろく』にも書きましたように、短いフランス・コントはもちろんのこと、長いフランス小咄もショートショートとして読める(正確に言うと、読めるものもある)と思っています。
 その手の作品を収録したアンソロジーは戦前から数多く出版されていて、日本におけるショートショート出版の前史として重要とは承知しているんですが、網羅的な調査をすることは、私の手には負えません。現在のところは、ピンポイントの調査が精一杯です。
 ということで――
 今日は玉川一郎訳編のフランス・コント集を紹介しましょう。
 戦前から戦後にかけて、玉川一郎もこの分野の翻訳・紹介で活躍しました。直木賞の候補にもなった作家ですが、現在では知る人は少ないかもしれませんね。
 以下、いずれも収録作品は短く、ほとんどショートショート・アンソロジーと言えるような本です。

◎玉川一郎訳『舶来傑作コント集 辯解夫人』モダン日本社(38)
 全54編収録。タイトルは「いいわけふじん」と読みます。拙ブログで採り上げたこともあるアルフォンス・アレフィシェ兄弟の作品も収録されています。
◎玉川一郎譯『舶来コント ジムと云ふ男』久晃堂(46)
 全22編収録。そのすべては『辯解夫人』からの再録です。表紙には「舶来コント」と書かれていますが、扉や奥付では「舶来コント集」となっています。
◎玉川一郎編『舶来小咄集 いいわけ夫人』久保書店(55)
 全45編収録。1編を除いて『辯解夫人』からの再録です。
 以上3冊、要するに『辯解夫人』を親本として、あとの2冊はその改題再編集版なんですが、「コント集」であったり「小咄集」であったり……。どういう基準で「コント」と「小咄」を使い分けているのか、どうもよくわかりません。
 ちなみに、『辯解夫人』と『ジムと云ふ男』には各作品に作者名が明記されていますが、『いいわけ夫人』には作者名が書かれていません。また、『辯解夫人』と『ジムと云ふ男』では同じ作品なのに作者名が違っていたりして……。う~~~む、いいかげんですねえ。困ったものであります。
辯解夫人.jpg ジムと云ふ男.jpg いいわけ夫人.jpg
◎玉川一郎『ふらんす風くノ一笑法 コント・ア・ラ・ニュイ』一水社・かもめ新書(66)
 全78編収録。訳とも編とも書かれていないのは、上の3冊が原典を忠実に翻訳したものに対して、こちらは玉川一郎がアレンジしているからでしょうか。そのあたりの事情は不明です。もちろん、各作品に作者名は書かれていません。
◎玉川一郎訳編『ふらんすこばなし 千夜一夜』芳賀書店(67)
 短い小咄がどっさり、数える気にならないほど収録。この本、紹介するべきか迷いました。明らかに小咄集で、ショートショート(小説)として読むには無理があると思うんですよね。しかしながら、表紙には「粋なお色気ショートショート」なんて書かれていて……(苦笑)。
ふらんす風くノ一笑法.jpg ふらんすこばなし千夜一夜.jpg
 私が把握しているのは以上の5冊ですが、玉川一郎訳編『優しき告白』民生本社(48)という本もあるそうで、気になっています。現物未確認、内容不詳ですから、何とも言えないのですが、もしかするとフランス・コント集なのかも……。何かご存じの方、ぜひご教示を。
コメント(5) 

コメント 5

山本孝一

あのー、ものすごく素朴な疑問なのですが
ショートショートとコントの違いってなんですか?
by 山本孝一 (2010-06-02 20:02) 

高井 信

 なかなか悩ましい問題ですね。>山本さん
 ご存じと思いますが、拙著『ショートショートの世界』は出版に際し、元原稿を大幅にカットしました。カットしたなかには、コントについて考察した箇所もあります。
 以下の通りです。

 もともとコントというのはフランス語で「短編小説」のことなのですが、日本においては、ただ単純に「短編小説」という意味では使われないようです。前出の『最新カタカナ語』(講談社+α文庫)をまた引いてみますと、「機知や風刺に富んだ短編小説」「軽妙で風刺的な寸劇」と書かれています。一般的な認識として、コントと聞くと、後者「軽妙で風刺的な寸劇」――芸人たちが舞台で繰り広げるコントを想起する人が多いでしょうが、本書で言うコントとは、もちろん前者「機知や風刺に富んだ短編小説」のことです。
 ショートショートとコントの区別も実に難しいです。「第二章・ショートショートの歴史」でフランス・コントを採り上げますが、そのうちの短いものは、まさにショートショートと言えます。
 フランスの代表的なコント作家に、マルセル・エイメがいます。エイメ作品は古く戦前から日本で紹介されていて、一九三九年(昭和十四年)に白水社から発行された短編集『人生斜断記』の「はしがき」で訳者の鈴木松子は「コントを短篇と譯してしまつては、時にその眞の意味を傳へないことがありませう。(中略)コントの多くは、怪談とか奇譚とかいふやうに、世にも珍らしい變つた説話を指してゐます」と書いていますが、その通りと頷けます。
 先に紹介した中原弓彦「ショート・ショート作法」には、「《コント》っていうと、何かエロティックな感じがするけど、《ショート・ショート》っていうと、ナントナク高級な感じがしますからなあ」という星新一の言葉が紹介されています。コントとショートショートの違いは、まあこんなところ――つまり感覚的なものであろうと思うのですが、いかがでしょうか。
 ―後略―
by 高井 信 (2010-06-03 05:17) 

高井 信

 ふと思い出しました。
『ショートショートの世界』62~66ページも参考になるのでは、と思います。
by 高井 信 (2010-06-03 05:25) 

山本孝一

お答えありがとうございます。
『ショートショートの世界』を読み返してみます。
昔、筒井康隆さんが、『これはショートショートではない。コントである』
とおっしゃったことがあり、どう違うのか気になっておりました。

by 山本孝一 (2010-06-03 19:26) 

高井 信

>昔、筒井康隆さんが、『これはショートショートではない。コントである』
>とおっしゃったことがあり、
 ネオ・ヌルの寸評ですね。
 当時、私もよくわかりませんでしたが、今は少しはわかるような気がします。
 この記事で紹介したような短いコント集に収録されている作品のなかには「小咄を引き伸ばしただけ」みたいなものもあって、「確かに小説としての体裁は調っているし、短いし、オチもあるけれど、これはショートショートではないなあ」と感じます。
 もちろん推測ですが、筒井さんの言われている「コント」とは、そういった作品のことではないかと思っております。
by 高井 信 (2010-06-04 06:07) 

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